history

これまでの歩み

早良区のルーツは、区名にもなっている旧早良郡にあります。
大正期から昭和期にかけて福岡市に編入された西新町(大正11年)、原村(昭和4年)、田隈町(昭和29年)、金武村の一部(昭和35年)、早良町(昭和50年)という旧早良郡を形成していた町や村が現在の早良区を形作っています。この写真は旧早良郡や早良区の昔の街並みや風景、行事など、地域の人々の暮らしの移り変わりを写した貴重な歴史の一枚です。

提供:早良区お宝写真今昔物語

百道浜

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シーサイドももちは、事業費約1,500億円を投じて、福岡市港湾局が昭和57年4月に着工、昭和61年9月に百道浜・地行浜地区の埋め立て工事が竣工しました。シーサイドももちは、早良区及びに中央区にある埋め立てによるウォーターフロント地区で、早良区の百道浜一丁目から四丁目、中央区の地行浜一丁目・二丁目全体を指します。 本埋立地において、市制施行100周年を記念して平成元年3月から9月まで「アジア太平洋博覧会」が開催されました。
よかトピア通り
昭和61年
よかトピア通り
建設中の福岡タワ-
建設中の福岡タワ-
アジア太平洋博覧会、通称よかトピアにあわせて建てられた福岡タワー・福岡市博物館・西部ガスミュージアムなどはそのまま残り、会場跡地は住宅地や商業地、公園などとして整備されました。
福岡タワーは、福岡タワー(株)が経営するシーサイドももち地区内のランドマークタワーで、高さは234mです。日本で1番高い海浜タワーでもあります。 1989年のアジア太平洋博覧会(通称:よかトピア)にあわせて建設されました。

早良区の誕生

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昭和45年4月
西支所(西区役所→早良区役所)建設工事中

福岡市は、昭和47年4月1日に政令指定都市に昇格しました。政令指定都市になると市民の日常生活に関係の深い行政サービスを行う区役所が設置されることになります。昭和43年2月に、日本住宅公団(現在のUR都市機構)の市街地住宅併用方式にて、東、博多、南、西(現在の早良区役所)の4か所同時着工の基本方針が決定されました。
昭和46年5月に支所制度が発足し、博多・西・南の各支所は新設の庁舎にて業務を開始しました。政令指定都市発足により組織の名称が支所から区役所に変更になりました。
早良区は昭和47年の政令指定都市への移行に伴い設置された西区が昭和50年の旧早良町との合併を経て、昭和57年に早良、城南、西の3区に分区され、誕生しました。

早良区内のUR住宅

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早良区内には、昭和30年代から昭和40年代にかけて建設されたUR(旧日本住宅公団)の大規模集合住宅があります。
九州で初めての公団住宅、曙団地(昭和31年)は平成8年に現在の中高層住宅への建て替えが行われました。
昭和30年代の公団住宅は、住棟自体にある程度の個性を持たせることが可能でしたが、昭和40年代の建物は限られた予算の中で住宅を供給する必要があったため、規格化された住棟を建設しなくてはならず、建物よりも住棟配置に重点が置かれていました。
民間のマンションでは、建蔽率や容積率を使い切り、狭い土地に建物と駐車場が詰め込まれたものが多いのですが、旧公団が郊外に造成した団地の多くは、容積率・建蔽率が上限よりずっと低く抑えられ、各所に桜等の樹木が贅沢に配されています。

九州初の公団住宅・曙団地
昭和31年
九州初の公団住宅・曙団地
曙団地 右端の道路は国道263号
曙団地 右端の道路は国道263号

昭和31年当時の西新・高取

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昭和31年当時の西新、高取を上空から撮影した写真です。現在では中高層のマンションが林立する両校区ですが、この頃はまだ旧住宅公団の曙団地があるだけで、大半は戸建住宅地でした。
昭和31年
当時の西新校区曙・高取校区祖原、高取
昭和31年
紅葉山からみた高取の町並み
昭和52年
紅葉神社付近の通り

旧国鉄筑肥線

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筑肥線は昭和10年に私鉄の北九州鉄道が博多ー東唐津ー伊万里間の86.1kmを敷設し、その後、昭和12年に国有化されました。
非電化の国鉄ローカル線だった筑肥線ですが、福岡市営地下鉄空港線の姪浜延長開業に伴い、昭和58年3月22日に博多ー姪浜間11.7kmが廃止となりました。
南庄西交差点(JA室見支店)あたりに筑前庄駅(昭和16年廃止)があり、昭代3丁目交差点あたりに西新駅がありました。西新駅があった場所の地名は、現在、高取校区の昭代3丁目ですが、駅開業当時は西新校区(昭和25年に分校)であったことから、西新駅になったということです。

踏切
筑肥線弥生踏切
旧国鉄西新駅
昭和58年
旧国鉄西新駅

バスがはしる風景

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昭和34年
西新西鉄バス発着所

昭和48年
西新国道202号

サザエさん通り

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「サザエさん」の作者である長谷川町子さんは、幼少期、戦中戦後を福岡で過ごしました。
昭和20年頃に百道の海岸を散歩しながら、国民的人気漫画「サザエさん」の登場人物サザエ、カツオ、ワカメなどの名前を発案しました。
平成4年に漫画家として初めて国民栄誉賞を受賞された長谷川町子さんゆかりの地として、平成24年5月27日に「サザエさん通り」が誕生しました。「サザエさん通り」は、早良区の脇山口交差点から、シーサイドももち海浜公園入口までの道路約1.6kmの通りです。

昭和60年
西新通り

昭和62年
西新通り拡幅工事